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あまり本を読んでこなかった22歳が、「読書」に関する本を7冊読んでみて分かった一つの共通点

これまでは、あまり本を読まない人生を送ってきました。

多くても、せいぜい年間30冊くらい。人並みか、それ以下の意識で本に触れてきていたように思います。けれど、今22歳の半ばで、やっと「読書をする」ということに本気で取り組もうという気持ちが出てきました。これを遅いと捉えるか、早いと捉えるかは人によって様々でしょう。けれど、とりあえず死ぬ前に気付けてよかったのかなと思っています。

理由はいくつかあります。まずひとつは、「いい文章を書きたい」と思うようになったから。「ことば」を使ってお金を稼ぐようになったので、それだけ、いい文章を書きたいと思うようになります。すると、「いい文章とはなにか」を知る必要が出てくる。そこで、改めて「読書」の必要性に気付きました。いい文章も悪い文章も、「サンプル」として自分の中に蓄えておく必要があると思ったのが、第一の理由です。

次に、日々のなかで「擦り切れる感覚」を味わっていたこともあります。朝起きて、会社に行って、仕事をして、家に帰って、寝る。平日の暮らしはだいたいこうです。そこであまり時間のないなか、なんとかインプットを増やそうと手っ取り早いWebの記事を読んで知見を広めようとするものの、なんか違う気がする。結局、その情報の収集のしかたで新たな「知識」を得るスキマや余裕は生まれないと気付きました。Webの記事はやはり「消費」に近い感覚があって、もちろんそれはそれで必要なものだけれど、体系的な知識や事象の背景からしっかり説明してくれるものはなかなかありません。そうではない、しっかりとしたファクトとロジックに裏付けされた深い知識をどんどん蓄えていかないと、なんだか薄い、中身のない30代になりそうな気がして、「これではマズイぞ」と本気で焦りはじめたことも理由の一つです。

 

「本に関する本」をとりあえず7冊読んでみた

僕は、ゲームや電化製品を扱う際は真っ先に説明書を読み込むタイプです。使途や注意点をある程度把握したうえで、実作業に取り掛かりたいのです。そこで、考えました。「まず、読書に取り組む前に、『読書』そのものについて知っておきたい」と。

そこで、読んだのが以下の7冊です。全部Kindleで買える本で、Amazonの検索ワードに「読書」と検索して目に入ってきた本をとりあえず片っ端から買ってみました。

 これらの本は、「読書」という行為そのものについてをテーマに書かれており、「速読法」みたいなメソッドはごく一部です。

さすがにこれだけ読むと、僕が知りたかった「なぜ読書をすることが良いこととされているのか」とか「読書はどう役に立つのか」などの疑問をいろんな角度から解消してくれました。特に、出口治明さんの『本の「使い方」 1万冊を血肉にした方法』と藤原和博さんの『本を読む人だけが手にするもの』は実生活、特にビジネスシーンにおける読書がもたらす効果が、これでもかというほど書いてあってとても参考になります。ただの「読書礼賛」にとどまらない、活用法や、具体的にビジネスのどの場面で役に立つのか、とか、どう僕たちの生活を豊かにする「教養」を与えてくれるのかというところにしっかりと向き合っていて、すごく誠意のある本だなという印象を受けました。

 

読書家が考える「読書」における共通点

同じテーマの本について読んでいると、いくつか共通点が見えてきます。「読書」に関しても同じで、それぞれの著書で結構似ていることを語っている部分がありました。そのなかで特によく語られているのが、「本は、著者が多くの時間と知識を持って書き、さらに多くの人の校閲を経てできているもので、信頼性、専門性はWebに比べて遥かに高い。そして、それは1000円前後という破格の値段で買うことができ、投資効果はめちゃくちゃ高い」ということ。

いくつか引用してみます。

 つまり、『半島を出よ』という本を読むということは、村上龍さんがそれに傾けた人生を読むことにもつながるのだ。とりわけ構想から10年の思索と、200冊を超える書籍や資料、大量のインタビュー取材という投資を行なって考え抜いた物語を「共有すること」なのである。しかもそれを、エンターテインメント作品として楽しむことができる。  

引用:『本を読む人だけが手にするもの

こんな高度で合理的な本という端末を、だいたい1000円~3000円の間で手に入れることができる。たとえば、200ページ前後に詰まった膨大な知識の塊がたった1500円で手に入ると考えれば、その投資効率は非常に高い。

引用:『本を読む人だけが手にするもの

本は、著者が表現したいことを、コンパクトにまとめて提示するツールです。共著を除けば、基本的に、著者ひとりの世界観しか提示されません。書き手が、深い見識を持つ一流の著者であれば、良質の教養を得ることができます。また、本は、インターネットに比べ、物事や出来事に関する「全体的」な知識を得ることができます。物事や出来事の全体像を知りたければ、それこそ本の独壇場ではないでしょうか。物理学だったら物理学、天文学だったら天文学、歴史なら歴史、哲学なら哲学の要諦を1冊にまとめて解説してくれるので、その分野の全体像がつかみやすいのです。

引用:本の「使い方」 1万冊を血肉にした方法

また、事実関係に間違ったところはないか、誤植がないかなど、校正・校閲を専門にする方々の労力も忘れてはなりません。くり返しになりますが、今はインターネットが普及している世の中ですから、いちいち書店に行って本を買わなくても、ネット上にあふれている文章で事足りる──そうおっしゃる方も多いかもしれません。しかし、本ほどに何人もの知恵が凝縮され、練り上げられた文章はないのです。

引用:『頭は「本の読み方」で磨かれる: 見えてくるものが変わる70冊

たしかに、インターネット上には無限の情報があふれています。ところが、無秩序に流されてくるそれらの情報に身をゆだねていても、自分のものにすることはできません。 知っていることは増えても、それは知識ともいえない無秩序なものの集合体に過ぎません。ですから、インターネットをどんなに眺めていても、実際に活用できる生きた知識を身につけることはできないのです。それに対して、あるテーマに即して情報を整理し、系統づけたものが「本」です。その多くは、時代の要請を受けて、きちんとテーマを設定したうえで情報を精査し、整理して書かれています。つまり、自分が必要とする知識を、もっとも効率的に吸収して自分のものにできるツールが、「本」なのです。

引用:『大人のための読書の全技術

対して、1冊の本では400字詰めの原稿用紙200枚以上あるので、約8万字分の情報が詰まっています。本は圧倒的に情報量が多く、このボリュームの差こそが、信頼できる理由のひとつでしょう。また、匿名性の差も、情報の信憑性と大きく関係しています。もちろん、本でもペンネームを使う著者もいますが、その人も編集者と会ってやりとりをしているはずなので、素性がまったくわからない著者が本を出すことはないのです。また、責任の所在も出版社と著者にあると、はっきりしています。本はつくるときに著者、編集者、校正担当者など数名の人間が関わり、情報を精査しています。どの出版社も情報の誤報には敏感になっているので、その裏を取り、一定のレベルになっているでしょう。これがネットだと、情報の裏を取らずに書いても許されてしまいます。情報を受け止める側に高いリテラシーが求められ、発信側の責任はあまり問われません

引用:『読書は「アウトプット」が99%: その1冊にもっと「付加価値」をつける読み方』 

うん、これは確かにそうだと思います。別にどちらがどうというわけではないですが、時間とお金のかけ方は、いまWebで流通している記事の比じゃないのではないかと思います。もちろん、Webの記事も、一部の優秀で志の高いライターの方々によってレベルは引き上げられているのは確かな事実です。たとえば、ライター/編集者の朽木誠一郎さん(id:seiichirokuchiki)はいま特に業界のレベルを押し上げるべく日々活動されています。でもやはり、どこかのページのコピペでつぎはぎしたような記事を量産するメディアがあったり、嘘か真かも分からないまとめサイトの情報が蔓延したりしている昨今Webの世界においては、玉石混交の「石」が多いような状態であることは否めません。

一方、紙の本ともなると、第三の視点を持った編集者がいて、校閲の方がいて、…と、Webに比べて信頼性は高いと言っていいでしょう。それが1冊の本となって体系だった媒体になっており、かつ、時間や場所に限らずどこでも読めて、1000~2000円程度で買えるので、こんなに投資効果の高いものはない。それはまさにそのとおりだなと。これまではむしろ、新刊は「高い」なんて思っていたのですが、この価値観に触れてから一気に考え方が変わりました。しかも、本の価格ならまだ失敗が許されるレベルです。さすがに数万円のものはポンポン買うことはできませんが、ちょっと気になる本なら値段を気にせず買うようになりました。若いうちに読んでおいて、後の人生でその効果がじわじわ効いてくるなら、こんなに安い買いものはないと、そう気づくことができたんです。

その他にも、共通点はいくつかあります。『ビジネスシーンでも普段の生活においても、学びを得るのに「古典」より優れたものはない』とか『時間は有限なので、つまらないと感じたら読むのはやめてしまう』とか。特に後者は意外でした。読書家たるもの、読み始めた本は苦もなく最後まで読破できるのかと思いきや、意外にそうでもないようなのです。出口治明さんは、「5ページ読んでつまらなかったら、その時点で本を閉じる」と語っていますし、月間300冊の本を読む佐藤優さんは「目次を見て、(自分にとって)読む価値がないと判断したら、もう読まない」と宣言しています。

逆に、同じ読書家でもちょっとずつ読書におけるルールが違うのも印象的でした。いちばん分かりやすいのは、「本に線を引いたり、メモを取ったりするかどうか」という点。忘れてしまうと意味がないのでガシガシ書き込む派の人もいれば、「本は神聖なものだし、一度納得して腑に落ちたら、もうメモは必要ない」という方もいました。ここは本当に人それぞれなので、いろんな流儀があって興味深かった点ですね。

 

「読書」についてはだいたい分かった。とりあえず、読もう。

はい、もう「読書」のための「読書」はもう結構です。だいたい分かりました。字数的に厳しいので今回は上記の共通点についてしか触れていませんが、「読書」による効能はイヤというほど身にしみたし、興味が湧いてきたので、これからは多面的な、「ほんとうの読書」に向き合っていこうかなと。

そして、今僕と同じように考えている方や、著名な読書家のルールを知りたいという方は、特にオススメの以下の2冊をぜひ読んでみてください。もし、数ページ読んでみてつまらなかったら、そのまま閉じてしまってもいいと思います。おそらく、最後まで読むことになるでしょうけど。

本の「使い方」 1万冊を血肉にした方法 (角川oneテーマ21)

本の「使い方」 1万冊を血肉にした方法 (角川oneテーマ21)

 
本を読む人だけが手にするもの

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