「他人は他人」と割り切れない人は消耗していくだけ

Aについて考えを巡らせながら生活していると、まさにAについて語っている人がいたりすることがある。これはおそらく偶然によるものだと思うけど、それが2度や3度重なったりすることがあって、「今は、そういう時期なんだ」みたいに考えることがある。

最近、僕にも似たようなことがあった。

それは「一喜一憂しない」ということについて。これについて考えながら生活していると、このことについて語っている人の意見がよく目につくようになってきた。「卵が先か鶏が先か」みたいな問題だと思うけど、ことあるごとに入ってくるようになった。

 

感情が移り変わるスピードが早い

現代は、感情が移り変わるペースが早過ぎると思う。

少し前(といっても、数十年くらい前の話だけど)は、例えば手紙を送る場合、送り主が出してから、受け手に渡るまでに数日かかる、ということも少なくなかった。今ではメールやLINEで一瞬でテキストは送り合えるし、映像を見ながら電話だってできる。

この伝達速度の高速化と、各種SNSの発達が感情の移り変わりのスピードを早めている。

Facebookを見ると、知人が会社でMVPを獲ったことを自慢しているし、Twitterを見てもおもしろツイッタラーがおもしろいツイートで数多くのRTを獲得している。

それを見て、「悔しい」とか「俺も、あぁなりたい」とか、そういう風に思う人が出てきてもおかしくない。そういう、他人の動向があまりに目に入ってきすぎるインターネット社会なので、言い換えると「一喜一憂しやすい/するのもやむを得ない」社会になってきていると言える。

 

「他人は他人」と割り切れない人は消耗していくだけ

そんな時代に、他人の動向を気にして一喜一憂している人は、当然のように消耗していく。

これは、場所には関係ない。東京にいても、田舎にいてもいつも誰かのことが気になっているようではいつまでたっても心は摩耗していくだけだ。

そんなとき大事なのが、「やっぱり、他人は他人」と割り切ることができるかどうかということ。SNSで知り合いの生活が垣間見えてきても、それは結局他人の生き方の一部でしかない。

決して、他者への興味関心をなくせと言っているのではない。あくまで、どんな人のどんな行動も、「そういう考え方をする人間もいる」「そういう成果を残せる人もいる」くらいのサンプルの一つ程度に捉えておくのがいい。

 

じゃあ、どうすればいいのか

簡単に一喜一憂しないようになるには、自分のなかにいろんな人間の考え方や行動履歴のサンプルを持っておくことだ。ノンフィクションでもエッセイなどの本を読むのもいいだろう。

そうやって、蓄積した「人の生き方データベース」が足元の地盤を固め、些細なことにも動じない強さを養ってくれる。

ツンドラモンスーン The cream of the notes 4 (講談社文庫)[Kindle版]

森博嗣 講談社 2016-01-08
売り上げランキング : 6153
by ヨメレバ