Facebookの投稿の大半が「◯◯な私を見て!!」というアピールのツールとして使われているということ

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僕はFacebookは毎日利用しているのですが、卑屈な人間なのでどうしても全ての投稿に対して穿った見方しかできません。そんな感じで毎回見ているのですが、ここ最近Facebookについてわかってきたことがあります。それは、Facebook上での投稿は「そう見られたい自分」を演出しているだけなのではないか?ということです。

つまり、「いいね!」や「シェア」などの全てのアクティビティは「誰かに見られるために行うもの」であって、それすなわちアピールでしかないということです。少しわかりやすく実例を交えて紹介します。

 

1.「美味しそうな食べ物」の写真をアップするという行動

これはFacebookの写真投稿の中でもかなり多い部類なのではないでしょうか。毎日、Facebookのタイムラインを開くと誰かが、やらパンケーキや、やれカプチーノやら美味しそうな食べ物や飲み物の写真を投稿しているように思います。

しかし、この投稿は裏を返せば「私はこのような色鮮やかで美味しそうないかにも健康的な食事を行える精神状況・経済状況にありますよ」というアピールでしかないのです。それが良い・悪いとかそういう問題ではないですが、どこか心の片隅にこのような思惑があっての投稿なのではないかと思います。

 

2.大勢の友人と共に写っている写真をアップするという行動

これも全く同じ心理です。「私にはある程度の人望と清潔感があり、こういった大勢の友人がいます。そして、写真を撮られることを厭わないある程度のルックスと自信に満ちています」というアピールなのです。どんどんいきましょう。

 

3.いかにも難しそうな政治の問題についてシェアするという行動

これもまさに典型例ですね。たまーにみかけます。これは「私は日々ネット上に散在している社会問題、時事問題に対するアンテナを張っており、かつそれらについて読解する能力と考察することのできる能力を備えています」というアピールです。ただこの種の投稿に関してはそれらの問題について「知ってもらう」という大きな役割を果たしているため、じゃんじゃんやってもらっていいと思います。頑張っていきましょう。

 

4.オシャレなウェブサイトに「いいね!」をつける行動

これも「普段から様々なネットの新しい情報について調べており、こんな感じのオシャレでイケてるサイトを知っているんですよ」というアピールです。このパターンは2極化していて、本当にためになる場合と、そうでもない場合の2通りに極端に別れるので、その辺のセンスのある方だけじゃんじゃん「いいね!」していってもらいたいと思います。

 

これはほんの一例に過ぎませんが、こうして見ていくとFacebook上における全ての行動は、結局「そういう行動を取る私を見て」という思いが裏に隠れていると結論付けることができます。

しかしながら、僕の場合かなりこじらせてしまっている可能性が高く、こんな利用の仕方をしてもこれっぽっちも楽しくないので普通に楽しく「いいね!」を押していくことをオススメします。