僕らは常に、「そっち側」になってしまう可能性を秘めている。

先日、今使っているスマートフォンを落として画面を割ってしまった。

それは、鮮やかだった。朝家を出て出社しようとしていたときだ。マンションのエントランスを抜けて道路に出て数歩歩き出したとき、アウターの右ポケットから何かが落ち、地面に叩きつけられる音がした。「スマートフォンを落としたな」と思ったが、正直そこまで心配はしていなかった。というのも、これまで何度もこのスマートフォンを落としたことがあるのだが、1回も画面が割れたことがなかった。「ゴリラガラス」という名の強化ガラスを使っているというのも大きな要因かと思う。とにかく、割れたことがなかったのだ。

これは、今使っている機種に限った話ではない。僕はスマートフォンを導入するのが結構はやく、iPhone4がまだソフトバンクでしか売られていない時代からそれを使っていた。しかも、「ジョブズはそんなこと望んでいない」との理由で、カバーはずっとつけていなかった。それでも、何度か地面に落としたことはあったが、画面が割れることがなかった。そんな経験をしていたため、今回もどうせ画面は割れていないだろうと高をくくっていた。

スマートフォンは、綺麗に割れた。

左上の角から地面に落下し、画面上部が綺麗に粉々になっていた。僕はスマートフォンの画面を初めて割ってしまった。分かったことがひとつある。それは、割れ方が悪いとガラスの破片がボロボロと脱落してしまうことだ。下手をすれば指に刺さってしまうし、そうでなくとも机の上にキラキラした破片があちこちに散乱してしまった。そして、意外に人は冷静になれるということだ。一瞬「あっ」とは思ったものの、次の瞬間には駅方面へと歩き出し、そして次のスマートフォンはどんな機種にするかなどと考えていた。

僕はそれまで、なんの根拠もなく、なんとなく「僕はスマートフォンの画面を割らないだろう」と思って過ごしてきた。けれど、見事に割ってしまった。かつての友人が持っていたバキバキのiPhone5のように、ネットの記事で見た「Apple銀座店で購入し、iPhone6を最速で割った人」が手にしていたバキバキのiPhone6のように、それは見事に割れた。

誰しもが特別な存在ではない。一歩間違えればすぐに「そっち側」の人間になってしまうこともあるだろうし、間違わずともそうなってしまう可能性はある。だから、常にあらゆる可能性を視野に入れておかなければならない。大事なのは、最悪のケースを常に想定しておくこと。僕はそれを、スマートフォンを落として画面を割るという経験から見出した。

最近、スマートフォンのinstagramのアプリで写真を撮影するときに、音が鳴らなくなるという現象が起こるようになった。googleで検索しても、Twitterで検索しても、原因は分からない。特にバージョンアップによる障害というわけではなさそうだ。そこからいろいろ調べていくと、このスマートフォンがそもそも音を発しなくなっていたことが判明した。だから、instagramだけでなく、純正のカメラアプリも、音楽再生アプリも音が鳴らないのだ。稀に、こういう「自分だけがそうだった」パターンもあるので気をつけた方が良い。それも含めて、「いろんなケースを想定しておく」ということなのだろう。