「なんでもいい」って言う人、大抵つまらない説

今日ちょっとこんなツイートをしまして。普段から思っていることなんですけどね。

弁明じゃないですけど、この辺について考えてることを書いてみます。いや、弁明ですね。 

「こだわり」を感じる人が好き

なんで前のようなツイートをしたかというと、僕は「こだわり」を感じる人やものが好きなんですよね。以前も似たようなことを書いています。

なかでも特に、「食べ物」とか先に挙げた「筆記用具」とか、人が普遍的に使うモノや行動に関わるもので、何らかのこだわりを持ってる人はおもしろいと思います。

例えば、「毎朝これだけは欠かさず食べる」や「このペンはインクが切れても、毎回同じものを買って使っている」など、些細なことでもいいです。そこに、「えっ?」とか 、「なんで!?」みたいな疑問や発見が入り込む余地があるからです。

使っているものに対して「なんでもいい」とか「特に理由はない」みたいな人に対しては、「へぇ〜そうなんだ〜」以上のレスポンスはないじゃないですか。そこが根本的につまらないと感じてしまうんですよね。

理想としては、「なんでそれを買ったの?」という質問に対して、10も20も答えが返ってくるくらいがいいと思っています。一般的なコミュニケーションとしてはマズイかもしれませんが、それくらいアツい人に対しては「うわっ、なんだこの人おもしれぇ」って興味が湧いてくるんですよね。湧いてきませんか?そうですか。

その人の消費に対するスタンスを知りたい

なぜこんなことを考えるかと言うと、その人の「消費」に対するスタンスに興味があるからなんだと思います。

例えばこのお二人の、モノを買う際に考えていることに関するツイート。

一方は、「ある程度値段は張っても、自分にとって使い勝手のいいものを選ぶ」という考え。もう一方は、「安いからという理由で買うけど、それに伴うさまざまなメリットは値段には反映されてない。」という気付き。

「安いから」買う/「安いから」では絶対に買わない、というふたつの意見で、気持ちいいくらいに正反対のことをおっしゃっています。もし、一緒に買いものをしてもらうと、とんでもないことになりそうですね。ワクワクしてきます。

ただ、購買におけるスタンスという意味では、それを買う際に、何らかの根拠があるという意味では何ら変わらないと思っています。

このどちらかが好きという話ではなく、「そもそもこういう考え方を持っている人なんだ」ということが分かるだけでもう十分なんです。

加えて、消費に対するスタンスは、その人のものの見方・考え方が大きく反映されているので、「あぁ、この人はこんな人なんだな」ということまで想像がついてしまいます。

それを含めて、僕は「こだわり」がある人が好きだし、興味を持って接したいと思うんですよね。

「なんとなく」、「なんでもいい」をやめてみる

僕自身、あまりこだわりは強い方ではないのですが、「なんとなく」とか「なんでもいい」みたいな投げやりな選択は極力しないようにしています。

「ご飯なに食べたい?」と聞かれたときでも、新しいボールペンを買うときでも、なんでもいいです。特定のものを答えとして絞り出す努力と、「それを選ぶ理由」を一度考えてみる。

そうやって、「なんでもいい」と放棄することをやめることで、小さなことから思考する癖がついていきます。

そして、この思考の蓄積は思っている以上に与える影響は大きいような気がしています。